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反逆する武士

その他 政治哲学

国際政治の現実主義を勉強するために、鉄血宰相ビスマルクを学ぶべき

投稿日:

大変お世話になっております。
反逆する武士

uematu tubasaです。
初回投稿日時:2019年12月23日(令和元年12月23日)

ビスマルクは鉄血宰相

私はビスマルクのことをリアリストであり、鉄血宰相であるという風に理解しておりました。

ただ、そんな偶像はぶっ壊されたのです。一冊の新書によって。

内容紹介

「鉄血宰相」「誠実なる仲買人」「白色革命家」――数多の異名をもつ19世紀の大政治家。その実像と類い稀な政治外交術の真髄に迫る。

内容(「BOOK」データベースより)

一九世紀ヨーロッパを代表する政治家、ビスマルクの業績は華々しい。
一八七一年のドイツ帝国創建、三度にわたるドイツ統一戦争での勝利、欧州に同盟システムを構築した外交手腕、普通選挙や社会保険制度の導入―。

しかし彼の評価は「英霊」から「ヒトラーの先駆者」まで揺れ動いてきた。
「鉄血宰相」「誠実なる仲買人」「白色革命家」など数多の異名に彩られるドイツ帝国宰相、その等身大の姿と政治外交術の真髄に迫る。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

飯田/洋介
1977年茨城県生まれ。2000年、早稲田大学第一文学部卒業。08年、早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。

博士(文学)。
早稲田大学文学学術院助手などを経て、11年より岡山大学大学院教育学研究科講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

以下uematu tubasaの総合評価

総合評価: ★★★★★

文句なしの5つ星です。

・ビスマルクに対する偏った見方が極力排除されており、初心者にも読みやすく、飽きさせない。

・等身大の政治家(あるときはプロイセンの政治家、あるときはドイツの政治家)として描き出そうとしている。

・ビスマルクの複雑怪奇な言動に対する分析が秀逸である。

詳しくは本書をご購入していただき、熟読していただきたいと思います。

外交の真髄を学ぶための教科書としても最適なのではないかと。

ビスマルクは同盟外交を展開し、ドイツ包囲網を作らせないために数々の権謀術数を弄した人間ですが、結構場当たり的な対応をしていた人物のようです。

私の国際政治の考え方でもあります「国家の行動は対外的要因と国内的要因によって、決定される」という物の見方があります。
ビスマルクは見事に体現しています。

幼少期や青年期のお話も興味深いですし、ビスマルクの死後のことにも言及されているってのも好感を持てますね。

以下、少々細かいところまで言及したいと思います。

ビスマルクの奥さん:ヨハナ

(前略)ポメルン地方の奥地で農場を営む父親の下で信仰と伝統を重んじる生活をする、どちらかというと古いタイプの地味な女性であった。
そして聖書を厳格に信奉し、内向的で社交が苦手であり、自分の周りの狭い世界を大切にしていた。

(中略)
一八四七年七月二八日に挙式し、二人はここに夫婦となった。
その後、三人の子どもに恵まれ、安定した家庭を築くことになる。

ビスマルク ドイツ帝国を築いた政治外交術 pp23-24より一部引用

ビスマルクは鉄血宰相と言われ、苛烈な人物というイメージが強い人物ですが、安定的な家庭を築いているようです。

彼女は、自分の夫を愛しており「夫の敵は私の敵」とするほど、ビスマルクに尽くした女性のようです。

私が個人的に思うことを申し上げると、男性が何か偉大なことをするためには、女性の働きが必要不可欠なのではないかと思うのです。

私個人としては、今現在、日本国内のアパートに一人暮らしをしており、掃除洗濯自炊など、家事に追われながら活動しております。

これで、女性が(必ずしも専業主婦になる必要はありませんが)ある程度の家事を手伝ってくれて、つらいことを吐露して、喜びを分かち合い、生涯で一番の味方でいてくれるならば、これほど心強いことはありません。

ビスマルクも生涯の伴侶を得て、立派なドイツ統一という事業を成し遂げたというのであれば、その功績はその妻ヨハナにも与えられるべきなのではないでしょうか。

プロイセン国民議会に選出されず、その後・・・

(三月革命が勃発その後)その後に開かれたプロイセン国民議会には、彼は残念ながら選出されなかった。
しかし、議会という発言の場を失ったからといって、彼がおとなしくしているわけがない。
むしろ、このとき彼がとった二つの行動が、政治家ビスマルクを考察する上で決定的に重要になってくる。
その一つは『新プロイセン新聞』(Neue PreusiBche Zeitung)の創刊である。

(中略)
発起人のリストにこそ名を連ねてはいないが、彼は同い年にして学生時代に知り合ったヴァーゲナーに対して協力を惜しまなかった。
とりわけ彼は多くの記事を寄稿することで紙面を盛り上げるのだが、
(後略)

ビスマルクは、代議士に転身してから、すぐに三月革命に遭遇してしまい、短い代議士生活となります。

その後、創刊された新しい新聞に寄稿することで、どんどん知名度を上げていくことになります。

攻撃的で、嘲弄的で、現実主義的な性格が記事にも反映されたそうです。
私が個人的に思うことは、人間、失敗しても腐らずに手段を変えてでも現実の漸進的な改良のために邁進すべきということです。

藤井聡先生は、内閣官房参与を辞任されましたが、その後精力的な活動をされております。
※ラジオやテレビなど

私の悪いところは、ちょっとした失敗でも激しく狼狽してしまい、その後の冷静な対応ができないということです。

ビスマルクを見習って、失敗があっても、その次の一手を常に考えて、行動していけたらと思います。

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