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反逆する武士
uematu tubasaです。
初回投稿日時:2023年3月30日(令和5年3月30日)
就業保証プログラムとは何か
現代貨幣理論における「最後の雇い手」もしくは就業保障プログラム(Job Guarantee Program)をご紹介したいと思います。
内藤敦之著『内生的貨幣供給理論の再構築』を参考文献とし、一部引用しつつ、説明させていただきます。
いわゆる「最後の雇用者」政策論は、有効需要論に基づく非常に積極的な財政政策の一環として、主張されている。
引用元:内藤敦之著『内生的貨幣供給理論の再構築』pp282より
これは、雇用政策の一種であり、公共支出による財政政策ではなく、公共部門が失業者を雇用するというものであり、ほぼ同時にWray(1998)の「最後の雇用者(Employer of Last Report,ELR)」政策およびMitchell and Watts(2002)の「雇用保障(Job Guarantee,JG)」政策といった名称で提唱されている。
この「就業保証プログラム」を我が国日本に適用するとなれば、日本政府もしくは地方自治体が働きたい人は誰でも雇う旨を宣言します。
誰でも雇う際の賃金も公表し、最後の雇い手としての役割を果たすことになると思います。
日本政府もしくは地方自治体が提示する賃金が実質的に最低賃金として機能します。
したがって、最低賃金が全国一律となり、国会の議決でその最低賃金を引き上げることが可能になります。
不況期もしくは恐慌期において、失業者が増えた場合に雇用を維持することができます。
好況期もしくは景気過熱期においては、政府及び地方自治体から民間企業へ労働力が移動すると想定されます。
ある意味でのセーフティネット(安全網)として機能します。
就業保証プログラムのメリット
これにはメリットがあり、失業による所得減少を最小限に抑制することができます。
失業手当や社会保障給付を最小限にすることができます。
また、失業に伴う人的資本の劣化(長期失業が招く労働力の腐食)、家族の崩壊、犯罪の増加、自殺の増加、医療費の増加を最小化できます。
この「就業保証プログラム」は強制ではなく、任意であり、労働する能力と意志のある者が対象になります。
また、公的機関に雇用された労働者は解雇される可能性があり、すべての雇用問題を解決するような代物ではございません。
なぜこのような政策がMMT(現代貨幣理論)において提言されているのでしょうか。
なぜならば、ヨーロッパやオーストラリアなどで高い失業率が継続していたからです。
失業という問題が深刻な社会的背景があるため、就業を保証するような計画案が立案されたのではないかと推察します。
就業保証プログラムで想定される仕事内容とは
仕事内容は、公務員が担っている業務を失業者にも行ってもらうというワークシェアリングではありません。
就業保証プログラムのために計画された非営利事業を行います。
なぜならば、営利企業との競合を避け、民需圧迫にならないようにとの配慮が必要だからです。
自国通貨発行権を保有する中央政府が非自発的失業の撲滅を掲げ、プロジェクトを立ち上げることになります。
パブリナ・チャーネバは、環境のためのケア、コミュニティのためのケア、人々のためのケアなどを提唱しています。
※参考記事:Job Guarantee Program:JGP (就業保証プログラム) について
しかしながら、日本国内の現代貨幣理論を支持する人々は、具体的な仕事内容を提唱することが少ないようです。
日本語で閲覧できる就業保証プログラムのWebページにも具体的な仕事内容が掲載されております。
現時点では、政策として議論可能な合意形成ができているわけでは無いようです。
サボタージュする人間をどうするのか
就業保証プログラムには実務的な問題点があります。
例えば、子供食堂で調理担当の仕事をしている人間が、サボタージュしたら、解雇できるのでしょうか。
解雇しなかったら、サービスの質が保てません。
その結果、利用する人間が少なくなり、子供食堂が成り立たなくなるかもしれません。
配置転換やプロジェクト移動が罰則としては考えられます。
しかしながら、それだと抑止としてあまりにも弱いのではないかと思います。
なぜ民間企業の生産活動の質やモラルが比較的守られているのでしょうか。
なぜならば、サボタージュ、商売倫理に違反、法令違反などをやってしまうと解雇されるというペナルティが存在するからです。
信賞必罰がやりにくいというのが、就業保証プログラムの弱点なのではないかと。
配置転換やプロジェクト移動では、金銭的なダメージはあまり無いでしょう。
このような場合、就業保証プログラムからの強制的な除外及び参加不可というのが有効な罰則として考えられるのではないかと思います。
例えば、サボタージュが発生した場合、今後3年間は就業保証プログラムに参加できないというペナルティを科すのです。
しかしながら、そのようなペナルティを実施してしまうと、働く意欲がある人間には就業を保証するという前提が崩れます。
同一労働同一賃金に違反するのではないか
就業保証プログラムにはさらなる問題があります。
それは同一労働同一賃金に違反する可能性があるという点です。
就業保証プログラムはその制度上、全国一律の最低賃金が定められます。
仮に時給1500円だとします。
例えば、とあるITエンジニアが公的部門のシステムメンテナンスを行った場合は時給1500円とします。
仮に、公園の掃除を行っても時給1500円だったとしたら、不公平感が大きくなり、同一労働同一賃金に違反します。
就業保証プログラムはその制度上、様々なプロジェクトを公的部門(主に中央政府)が用意します。
しかしながら、様々なプロジェクトを用意すれば用意するほど、同一労働同一賃金に違反してしまうという矛盾を抱えています。
児童労働につながるかもしれない
就業保証プログラムに関する本質的な批判としては、児童労働につながる恐れもございます。
例えば、子供食堂を運営するという就業保証プログラムがとある地方自治体で立ち上がったとします。
その地方自治体の就業保証プログラムに参加したいと小学生が応募してきた場合はどうなるのでしょうか。
先進国においては、児童労働は認められません。
しかしながら、就業保証プログラムは就業を望む人間には仕事を与えることが本来の責務のはずです。
児童労働を拒否することが、就業保証プログラムの本来の意味を失わせてしまうのです。
就業保証プログラムはキャリアとして認識されるか
就業保証プログラムの問題は他にもございます。
好景気になり、全国一律の最低賃金よりも高い賃金水準と福利厚生を提示して民間企業が従業員を雇う場合を考えてみましょう。
果たして就業保証プログラムでの就業経験を「キャリア」として認識してくれるのでしょうか。
民間企業の採用担当者は、書類審査や面接などでその人が今後自社の役に立つ人材なのかどうかを見極めることになります。
その際に、就業保証プログラムでの就業経験を肯定的に評価するとは限らないという本質的な問題が生じます。
その結果、就業保証プログラムに参加した年月が長ければ長いほど民間企業での業務に復帰できないかもしれません。
要するに、自社の業務と無関係なことをしていただけで、経験値が足りないという判断となり、採用に至らないということになりかねません。
就業保証プログラムから人的資源を確保することができず、民間企業の供給能力が伸び悩むでしょう、
最終的には、供給不足状態に陥り、インフレが加速する可能性もございます。
就業保証プログラムが民間企業から評価されなかった負け犬の集団として認識されるという悲劇につながるかもしれません。
また、恥を晒してまで就業保証プログラムに参加したくないという失業者が増えるかもしれません。
その結果、就業保証プログラムが機能不全に陥るかもしれません。
労働よりも大事なことがこの世にはある
JGは失業者に政府が仕事を与える政策ですが、これも失業者に「的を絞った」政策であり、政府が認める形で時間的に拘束されない限り、おカネを渡しません。
引用元:『ベーシックインカム×MMT(現代貨幣理論)でお金を配ろう』pp98より
これでは、失業者というわけではないけれども生活が苦しい人たち(例えば、勉強時間の必要な学生や、子育てや介護をすべき家族がいる人々、自営業の人々など)の苦境を救うことができません。
一般常識がある人間であれば、ご理解いただけると思います。
人間には労働よりも重要なことに、時間を費やすべきタイミングやイベントがあります。
勉学に励む、子育てや介護、自営業で働いている方々がそれに該当します。
日本政府が用意したプロジェクトに時間と労力を奪われたくないという価値観や決断も尊重しなければなりません。
そのような人々が経済的に苦境に陥っても、就業保証プログラムに参加していないから救えないのです。
その他の実務的な問題点
就業を希望する人々を無制限に雇い入れるのが就業保証プログラムです。
しかしながら、就業を希望する人々に割り当てられるだけの仕事を用意することができるのでしょうか。
さらに言えば、時間的に拘束されて働くことになるので、勤怠管理を誰がどのように行うのでしょうか。
現代貨幣理論を支持する人々の間ですら、合意形成ができていないのに、民主主義国家で政策実現できるのでしょうか。
以上のことから、私は現代貨幣理論を支持しておりますが、就業保証プログラムには懐疑的なのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。