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台湾論で初めて知った李登輝という偉人の業績。台湾は日本の生命線だ

更新日:

小林よしのり『台湾論

大変お世話になっております。
反逆する武士

uematu tubasaです。
初回投稿日時:2020年7月31日(令和2年7月31日)

生きている時代にお会いしたかった

「台湾民主化の父」、「ミスターデモクラシー」――。植民統治、独裁体制を生き抜き民主化を主導した激動の東アジアを代表する政治家だった。
台湾の元総統、李登輝氏が7月30日に台北市内の病院で死去した。

97歳だった。独裁体制下にあった台湾の民主化と経済発展に尽力。
1996年に行われた台湾住民による総統直接選挙で勝利し、初の民選総統に就任した。
「22歳まで日本人だった」と語るなど日本国内では李登輝氏を親日家として高く評価する向きもあり、日本の政財界などと深い親交があった。
死去を受けて、台湾のみならず世界から多くのメッセージが出された。

蔡英文総統は総統府の声明として「台湾の民主化における貢献はかけがえのないもので、死去は国家にとって大きな損失」だと発表した。
日本でも安倍晋三首相のほか立憲民主党の枝野幸男代表、小池百合子・東京都知事など与野党問わず多くの追悼のメッセージが出された。

引用元:李登輝「台湾に生まれた悲哀」で貫いた奉仕人生

李登輝さんが死去されました。
私が李登輝さんのことを知ったのは学生時代でございまして、小林よしのり氏の『台湾論』を読んでからでございます。

中国大陸での権力闘争に敗北した中国国民党が台湾に逃れ、終戦後においては日本が去った後の空白地帯と化した台湾を支配しました。

その後、中国国民党の蔣介石の支配が続き、台湾人は弾圧され、その息子の蔣経国の時代まで続きます。

その後、政治的には権力欲が無く、昼行灯と目されていた李登輝が台湾総統に就任し、私利私欲を貪るどころか、万年国会を解散し、直接民主制での総統選を実施して、台湾民主化の父と呼ばれるようになりました。

中国からの妨害工作と闘争

30日に死去した台湾の李登輝元総統の葬儀に、生前交流があった森喜朗元首相が参列する方向で政府・自民党が最終調整に入った。
複数の関係者が31日、明らかにした。
国交がないため「政府特使」などの肩書は避け、民間交流の枠組みで調整する。
森氏は首相在任中の2001年、中国の反発を懸念する外務省の反対を押し切り、李氏に日本滞在のビザ(査証)発給を決めた経緯がある。

引用元:李登輝氏葬儀に森元首相参列へ 政府・自民が最終調整

日本政界における媚中派と親台湾派の闘争は継続しており、森元首相は李登輝が日本に来日する際ビザ発給を阻止せんとの中国共産党の妨害工作を撥ね退けたことで知られております。

現在は老害などと揶揄されるようなお方でございますが、李登輝という中国共産党が最も恐れる政治家を問題無く日本に呼べた力量は素晴らしいの一言です。

中国のミサイル恫喝にも屈せず

1988年の蔣経国総統の死後、憲法の規定で台湾出身者初の総統に就任した。
国民党主席にも選ばれ、内戦時に総統に独裁的な権限を与えた憲法の臨時条項を廃止して民主化に乗り出した。
外省人の既得権益に切り込み、40年代に中国大陸で選出され、長く議席を保っていた「万年議員」を説得して引退に追い込んだ。
国民党体制に不満を持っていた本省人や民進党など野党勢力からの信任も得て大きな混乱なく民主的な議会選挙を実施した。
対中関係では中国との接触を認めなかった政策を改め、民間窓口機関を通じた中台対話を始めた。一方で台湾の主体性や日米両国などとの関係を重視し、中国からは「独立派」と警戒された。
95年の訪米後、中国は翌年3月の初の総統直接選挙をにらんで台湾周辺でミサイル演習などを繰り返した。米国が空母を派遣し、「台湾海峡危機」に発展した。
だが、李氏は中国に反発する台湾住民の圧倒的な支持を受けて初の民選総統に当選し、民主的な体制への移行を完成させた。

引用元:台湾の李登輝氏死去 平和的な民主化を導いた

印象深いのは、1996年の台湾総統直接選挙を牽制したい中国共産党が台湾周辺でミサイル演習を繰り返し、脅迫してきたことです。

民主主義国家に生まれ変わろうとしている台湾をめちゃくちゃ怖れており、ミサイルを撃たれる可能性がある中、直接民主制に移行して、台湾総統に就任して、ミサイル脅迫に屈しなかった国家指導者です。

台湾に新幹線導入をした立役者

台湾北部の台北と南部の高雄を結ぶ台湾高速鉄道は日本の新幹線技術を海外で初めて採用した「台湾新幹線」として知られる。
建設計画が進んでいた1999年12月、李氏は当時JR東海社長だった葛西氏と台北の総統公邸で面会し、日本の技術導入の可能性を探った。

(中略)
日本の企業連合と高速鉄道会社は李氏の総統退任後の2000年12月に正式契約を締結。
07年の開業にこぎつけた。
葛西氏は「(李氏は)命がけで台湾の民主制を引っ張ってきた人。台湾の政治家の中で圧倒的で突出した巨人だ」と、存在の大きさをしのぶ。

引用元:新幹線がつないだきずな 李登輝氏決断、日本の技術導入

現在でも運行している「台湾新幹線」でございますが、李登輝がJR東海の葛西さんと面談して、日本の新幹線導入に道筋ができたことは有名なお話でございます。

中国大陸で新幹線の事故があった際にも、台湾は平然と「日本の技術をそのまま取り入れた新幹線だから事故にはならない」と言い切ってました。

日本の恩人です。
ご冥福をお祈り申し上げます。

以上です。

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