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反逆する武士

国家安全保障

核兵器の保有資格とは何か。公的な核武装論議を経ずして独立は守れず

投稿日:

北朝鮮

大変お世話になっております。
反逆する武士

uematu tubasaです。
初回投稿日時:2019年11月13日(令和元年11月13日)

※こちらも後日修正します。

核兵器を持つ資格

ここまで私は、日本国核武装の正当性や必要性を述べてきたが、そもそも日本国に核兵器を保有する資格があるのか否かについても考えてみたいと思う。

よく論じられる説の一つに、その国の国内政治に文民統制(シビリアン・コントロール)があり、民主主義国家であれば、核保有の資格ありというのがある。独裁者や非理性的な軍人によって、簡単に核兵器の発射ボタンを押せるような国家には核保有の資格なしということらしい。

しかしながら、その国の民衆がいつ、なんどき、好戦主義的な態度を示すのかわからないのである。また、「民主主義」→「大衆民主主義」→「衆愚政治」と進み(これを筆者は《民主主義の劣化》と呼んでいる)

誤った方向に国家を動かそうとするかもしれない。民主主義国家であるから、核保有の資格ありとは言えないのである。民主主義は万能ではない。

また、国際法を遵守していれば、その国は核保有の資格ありという説もある。

そのようなおとなしい国であれば、暴発することはないだろうということらしい。

しかしながら、核保有により、他国の軍事的脅威を受けないからと言い、非核保有国に対し国際法違反行為をするかもしれないので、国際法を守る国家は核保有の資格ありとは言えないのである。

では、どういった条件が、核保有の資格があるのか否かを判断するのに適当なのかと言うと、その国が過去数十年を振り返って、あるいは、将来数十年を見通して、他国に対して侵略的な先制攻撃を行う恐れがなく、

核管理能力(テロリストなどに核兵器を盗まれたり、奪われたりすることが無く、安全に核兵器を管理する能力)を保持している場合であり、「核保有の資格あり」と言える。

なぜなら、このような平和国家なら、国際秩序を乱すことはないからだ。

さて、日本国はこの条件に合致するのであろうか? 私は合致すると考える。

平和ボケ国家で、反戦平和勢力(朝日新聞、日教組、9条の会・・・等々)が跳梁跋扈する我が国ほど、この条件に合致する国家はない。

今までの実績から言っても核管理能力では申し分ないだろう。日本の原子力技術者の方々に感謝したい。

核武装に強硬に反対する反戦平和勢力が条件合致の要因になろうとは・・・・皮肉なものである(苦笑)。

世界で唯一の被爆国だからこそ三度目の被爆を避けるため核を持つ資格がある。日本はヒロシマ・ナガサキのような悲劇を繰り返さないために核武装する資格があると主張すべきであり、誤解を恐れずに言えば、今現在生存している被爆者こそ「核武装論者」になるべきである。

思考プロセスとしては 「我々被爆者は原爆という苦難を背負った・・・そしてまた、眼前に核の脅威がある」→「しかしながら、核廃絶を訴えても朝鮮半島から核兵器は無くならない」→

「孫の世代には原爆被害に遭ってほしくない・・・核攻撃を防ぐにはどうしたらいいのか? 」→「現実的対策として核抑止力が必要だ」→「心苦しい限りだが、核武装するしかない」となろう。

「日本国を救うには日本国核武装が必要不可欠なのであることを御理解の上、御協力お願い致します。」という真摯な態度を見せるしかない。

政治リスクを乗り越えて公的な核論議を

1999年10月に当時防衛政務次官であった西村真悟氏は週刊誌で核論議の必要性に言及し、2006年10月9日の北朝鮮の核実験により、

当時自民党政調会長であった中川昭一衆議院議員は「核論議はあっていい」という発言をした。この発言自体は評価に値する。

しかし、その後の世論として、核論議が開始されることはなかった。しかも、

反戦平和勢力は核論議を言論封殺し、西村・中川両氏にタカ派のレッテル張りをして非難したのである。

異論を許すことができない戦中の翼賛体制のようである。日本はいつから全体主義国家になったのだろうか。

日本国民は、核戦略と核抑止力の理論に関して無知である。
当然と言えば当然である。唯一の被爆国ということから、核は怖い、イヤだ、あんな怖い兵器は一刻も早く消え去れ! という幼稚園児の議論に終始してきたのである。核廃絶という幻想を抱いているのである。

しかし、現実を直視してほしい。一度核保有して、核兵器を放棄した国は存在しない。核保有による戦略的優位性をわざわざ放棄する「良心的で温和な国家」は存在しない。

また、核廃絶のための国際条約により、自国が条約に従って核廃棄を実行したのに、仮想敵国がこっそり核を隠し持っていたら、それだけで両者は、支配―服従の関係になってしまう。

最悪の場合、核兵器製造の知識や技術が消えたわけではないので、国際条約に違反し、核保有した単独者(国家、テロリスト集団、犯罪集団など)が世界の絶対的覇者になるという異常事態が生じる可能性がある。

例えば、北朝鮮やアルカイダなどが絶対的覇者になるかもしれない。
わざわざ危険な単独者に世界征服されるかもしれない状況を作りだそうとする核廃絶論は狂気の沙汰である。

日本人は「いい人」なりたがるのだ。
「核廃絶」という「理想」を唱えている自分自身に酔いたいのである。
哀れとしか言いようがない。

現実を直視せずに語る理想は理想ではない、「幻想」なのである。

日本人の国際政治に対する感覚というのは、あまりにもお粗末であるが、この欠落はなにから生じているのでしょうか? という質問に、表現者第8号 の中で、伊藤貫氏は、

日本人は和の国民ですよね。ハーモニーを重んじていればいいと思っている。
ある意味で日本人は性善論者なのですよ。
これはいいのです。
だから私は日本人が好きなのですね。
日本人同士で暮していれば、徳川時代末まではそれでやっていけた。
しかし、国際社会の性格はまったく違う。
国際社会は最終的には、リアリストが言うようにアナーキーな社会であって、生存競争に負けた国は滅びてしまう。
残念なことに国際社会では、相互不信がノーマルな状態なのです。
でも日本人は、日本人同士の人間関係を、国際政治にも持ちこんでしまうのです 。

表現者第8号 より

と語られている。
私も同感である。

つまり、公的な核論議無しでは、日本国民が反戦平和勢力に惑わされ、日本国核武装の正当性や必要性を理解することができず、核武装するという英断を下した本物の政治家たちを次期の選挙で落としてしまうという、泣くに泣けないことになってしまう。

私以外の、日本国を守るためにあらゆる選択肢を検討するという確固たる決意を持つ尊皇攘夷派が台頭することを願う。

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